吉田 裕 よしだ ゆたか(一橋大学教授)



1 13を選択。現在の段階では、少なくとも十数万と推定します。特に南京近郊農村部での虐殺の実態がほとんど明らかにされていませんので。

2 ④を選択。明らかな侵略戦争であるが、戦争である以上、通常の戦闘行為による戦死者は虐殺に含めるべきではないでしょう。

3 ④を選択。大本営が南京攻略を命じた一九三七年十二月一日から治安がほぽ回復する一九三八年三月頃までの期間。

4 ⑤を選択。3で回答した期間内に中支那方面軍が制圧した地域。したがって①は含まれませんが、南京市内に限定することはできず、南京特別市(南京城区プラス近郊農村部)の全域をも含みます。

5 ①捕虜、投降兵の殺害。
  ②軍服と武器を捨て難民区に潜伏していた中国軍敗残兵の処刑(捕虜として収容すべき対象でした。また仮に実際の敵対行為があったとしても、処刑には軍律法廷の手続きが必要でした)。
  ③戦意を失った敗残兵の殺害(少なくとも捕虜として収容する努力をすべきでした)。
  ④一般市民の殺害。

6 ④を選択。戦意を失った正規軍の敗残兵。それを軍律法廷の手続きもなしに処刑したため、兵士と誤認された一般市民まで処刑されることにもなりました。

7 白紙。

8 当時の国際法解釈については、拙著『現代歴史学と戦争責任』(青木書店、一九九七年)及び共著『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房、一九九九年)で詳述しておきました。なお、中支那方面軍法務部も少なくとも一九三八年一月末以降は敵対行為をなした中国人を軍律法廷で処刑していまず(小川関治郎『ある軍法務官の日記』みすず書房、2000年)。処刑には軍律法廷の手続きが本来必要なことを示しているといえるでしょう。
余談ながら、この設問自体が偏向しています。中立的な立場に立つのであるならば、「日本軍の処刑を国際法上合法であると明記している確証ある史料がもしあればご提示下さい」ともあわせて聞くべきでしょう。

9 ①兵粘の裏付けなしに南京攻略戦を強行し掠奪を常態化させた責任。
  ②捕虜・投降兵・敗残兵を保護するための措置をとらなかった責任。
  ③無統制な部隊の城内への入城を阻止するための措置をとらなかった責任。
  ④安全区国際委員会と協力し難民を保護するために充分な措置をとらなかった責任。
  ⑤日露戦争型の戦争観にとらわれ入城式を過早に実施したため掃蕩戦を過酷なものとした責任。
  ⑥カイライ政権樹立などの政治工作に深入りし、軍司令官本来の職務に専念しなかった責任。

10 ①多数の難民をかかえる南京市で絶対死守の方針をとったため民間人をまきこむ結果となった責任。
  ②途中で逃亡し、司令官としての職務を放棄した責任。これによって混乱が倍加されました。

11 ⑤を選択。「南京大虐殺」という呼称は戦後のものでしょうが、事件そのものは当時から知られていました。

12 数については誇大に伝えられている面もあると思いますが、捕虜や敗残兵などのためし切りを行なったものと考えます。

13 チャンの本は、日本側の研究状況を全く知らない点、事件を日本人の民族性や国民性から脱明している点、日本国内にも反省の助きがあり、教科書などでもとりあげられている事実を全く無視している点、以上三点により、あまりにも問題の多い著作だと思います。

14 ラーベ日記は、貴重な史料だと思います。ただしドイツの外交文書などの分析によって、事実関係をさらに明らかにする必要があるでしょう。

15 日本政府と日本人の加害責任を明確にする意味で、詳しくふれるぺきでしょう。

16 「三光作戦」のように、特定地域の殲滅それ自体を目的とした軍事行動ではなく、首都の攻略戦に附随して発生した戦争犯罪だと思いますので、ホロコーストと呼ぶには正直な所ためらいがあります。この点もう少し勉強してみたいと思います。

17 カイライ南京市政府による国際法違反のアヘン売買(日本軍特務機関が関与)、日本海軍による戦争犯罪など当初はよく知らなかった事実を知り、事件のひろがりを理解できるようになりました。その点ではこのアンケートが「虐殺」だけに問題をしぽっている点に大きな疑問を感じます。少なくともレイプや掠奪についても聞くべきです。
 重要な参考文献としては、次の五冊をあげておきます。
 ①秦郁彦『南京事件』(中公新書)
 ②南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集』(偕行社)
 ③藤原彰『南京の日本軍』(大月書店)
 ④笠原十九司『南京事件』(岩波新會)
 ⑤南京事件調査研究会編『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房)


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