井上 久士 いのうえ ひさし(駿河台大学教授)



1 13を選択。少なくとも十数万。

2 ②を選択。なお、「侵略戦争だったかもしれない」ではなく、「侵略戦争そのものだった」と認識している。

3 ④を選択。十二月上旬から翌年三月まで。

4 ⑤を選択。当時の南京市政府の管轄地域(南京城内・下関および郊外の浦口・孝陵衛・燕子磯・上新河・陵園)と近郊六県(江寧・句容・ 浸水・江浦・六合・高淳)。

5 捕虜の殺害、女性を含む一般市民・農民の殺害。

6 ④を選択。便衣兵か正規兵かという区別は無意味である。戦意を喪失し武器を捨てて逃げ込んだものであるから、いずれにしてもこれを捕虜として扱うべきであり、まして軍事裁判もなしに殺害してよいというものではない。

7 占領後の南京で実態として便衣兵による武装抵抗はほとんど存在しなかった。

8 南京にいたドイツの外交官ローゼンは一九三八年一月二十日のドイツ外務省宛ての報告のなかで、日本軍が国際安全区から中国兵を選び出し殺害したことについて次のように述べている。「いかなる軍事裁判も、またこれに類する手続きも一切おこなわれた形跡はなかった。そもそもこうした手続きは、あらゆる戦時国際法の慣例と人間としての礼節をかくもあざ笑う日本軍のやり方にはふさわしくないものであったろう」
 軍事裁判をへることなく捕虜を殺害したことは、日本の同盟国ドイツの外交官でさえ問題視していたのである。

9 白紙。

10 撤退命令を出すのが遅すぎた。南京城の死守が事実上不可能になった十二月十一日か十二日に撤退するか。最後の段階で日本軍の無血入城を認めるように交渉すべきであっただろう。

11 一般には②だが、東京の外移省などは当時から知っていた。

12 白紙。

13 中国系アメリカ人として南京大虐殺を知って衝撃を受け一気に書いたという著者(チャン)の気持ちは分からないでもないが、事実誤認が多く、写真の使用にも問題があり、歴史書としては評価できない。

14 重嬰な歴史史料として評価するが。ラーベも当時の南京の全体像を把握できていたわけではないから、他の史料とつきあわせる作業は不可欠であると思う。

15 教科書には、もっと詳しく書かれるべきである。まして「南京事件」の記述を少なくしたり、なくしてしまうことは容認できない。

16 ホロコーストとは同一視できない。大変な虐殺があったことは事実だが、日本軍は虐殺をおこなうために南京を占領したわけではなく、結果として大虐殺をおこなってしまったと理解している。

17「南京事件」を調べるにつれ、虐殺の規模などよりそこで犠牲になったり被害を受けた方々に深い同情の念をもつようになった。
 参考文献
 ①南京事件調査研究会編『南京大虐殺否定論13のウソ』(柏書房)
 ②孫宅巍編『南京大屠殺』(北京出版社)
 ③李恩涵『日本軍戦争暴行之研究』(台湾商務印書館)
 ④井上久士編『華中宣撫工作資料』(十五年戦争極秘資料集13)(不二出版)
 ⑤井上久士「歴史学における写真史料 南京事件の場合」(『歴史評論』2000年10月号)


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