谷壽夫戦犯事件判決書付属文献の強姦部分に関する統計抜粋



谷壽夫戦犯事件判決書付属文献の強姦部分に関する統計抜粋
一九四七年
 〔これは、国民政府国防部の戦犯裁判軍事法廷における、一九四七年の谷壽夫戦犯裁判文書の判決書付属文献の一つである。〕
一、十八日(すなわち旧暦十一月十六旦、日本兵三人か黒廊巷一七号にて李元森の妻李瀋夫人を強姦し、その子文彬は助けを呼んだために射殺される。(証人は被害者の夫李元森と目撃者の楊金龍、李元洪)
二、十九日(すなわち旧暦十一月十七旦、李府街にて農民孫宝慶の兄嫁孫陳夫人を輪姦し、その日の夜に死なす。 (証人は孫宝慶、金儲氏)
三、十三日(すなわち旧暦十一月十一日)、南門外の沙洲圩許家湾村にて陳二姑娘を数回続けて強姦する。その伯父陳錦福は許しを乞うてその場で射殺される。(証人は被害者陳二姑娘とその父親陳錦源)
四、十六日(すなわち旧暦十一月十四旦、四方城。八号にて、蕭小五子を強姦した後、刀で殺す。(証人は蕭宏貴)
五、十九日、沙洲圩にて王朱夫人を強姦し、氏は屈辱に堪えきれず池に身を投げ自殺する。(証人は王三)
六、十四日(すなわち旧暦十一月十二日)、任家花園にて周奚夫人を洞穴の中から引っ張り出し強姦未遂を犯し、その場で射殺して死なす。(証人は周陳夫人)
七、十四日(すなわち旧暦十一月十二日)、黄泥塘の洞穴の中で楊周夫人を輪姦したあとさらに射殺する。(証人は楊広才)
八、二十日(すなわち旧暦十一月十八日)、中華門外の賽虹橋南村一一号にて劉陳夫人を続けて強姦し、その夫劉学徳は驚きのあまり死ぬ。(証人は被害者劉××と目撃者唐劉夫人)
九、十三日、珍珠巷二三人号にて年齢わずかに一四歳の幼女伍大毛を強姦した後殺す。(証人は魏正栄、董庭如)
一〇、十四日(すなわち旧暦十一月十二旦、九児巷一九号にて唐荷弟氏を強姦した後殺す。(証人は丁長栄)
一一、十三日(すなわち旧暦十一月十一旦、門東の仁厚里五号にて陶湯夫人を輪姦した後、歩兵銃で射殺し、また銃剣でその下腹を刺し、さらに火を放ってその死体を焼いた。(証人は柯栄福、方鶴年夫人)
一二、十三日(すなわち旧暦十一月十一旦、賽虹橋北村一四号にて賈長源の妻賈彭夫人を強姦し、同月十七日さらに何回も強姦に遭わす。(証人は貿盛夫人、陳張夫人)
一三、十五日(すなわち旧暦十一月十三日)'賽虹橋北村五五号の張孟夫人、分娩期間中に強姦され重傷を負い死ぬ。(証人は張陳夫人、馮徐夫人)
一四、十七日、日本兵二人は賽虹橋北村一二号之一にて劉宝琴を輪姦した。(証人は劉李夫人)
一五、十六日(すなわち旧暦十一月十四日)、百花巷五号にて徐洪長人とその母親を前後十数回強姦し、さらにその弟洪徳清、弟の嫁洪工夫人とその甥洪雲保を射殺し、加えてすべての財産を一つも残さず奪い去った。(証人は被害者徐洪夫人その人)
一六、十二月中、日本兵三人は仏心橋二〇号にて陳呉夫人を輪姦し、重傷を負かせて死にいたらしめる。(証人は陳雲龍)
一七、十八日(すなわち旧暦十一月十六日)、黄泥塘の伍馬夫人、日本兵数人に輪姦された後、刀で殺される。(証人は伍陳夫人)
一八、十八日(すなわち旧暦十一月十六日)、沙洲圩の梁揚夫人、日本兵二人に強姦されるところを抵抗したため、水の中に突き落とされ溺れ死ぬ。(証人は陳瑞麒)
一九、十四日(すなわち旧暦十一月十一。日)、雨花台二〇号の王蔡夫人、日本兵による強姦未遂に追って射殺される。(証人は王富有)
二〇、十四日(すなわち旧暦十一月十二日)、雨花台二〇号の王正和、日本兵に妻を強姦されたため助けに出たところを切られて死ぬ。(証人は王富有)
ニ一、十二月中、尖角営六号の王帳夫人の息子の嫁は日本兵に母親を強姦され、助けに出たところを刺されて死に、さらに家屋を放火され焼き払われた。(証人は王張夫人、張 学富)
以上二一件は中華門地区で発生したものである。

二二、十四日、日本兵三人は湖北路二八号鳳末桟にて年齢わずかに一五歳の幼女陳代弟を輪姦する。こ政人は楊朱夫人)
二三、十五日、状元境四六号の呂王夫人、分娩後わずか五日であるが、日杏兵の強姦末遂に遭い、母子とも日本兵に布団で窒息させられて死ぬ。(証人は呂興隆)
二四、十八日、孝陵区の牌楼鎮河沿頭埠三号の農婦陸荷英、日本兵二人に輪姦された後、銃剣て下腹を刺されて死ぬ。(証人は陸国賓)
二五、十六日午後三時、北平路五一号の姜張夫人、日本兵四人に輪姦されて重傷を負って死ぬ。(証人は張碧城)
                      〔堀本尚彦訳〕


*参考文献:南京事件資料集2中国関係資料編/南京事件調査研究会/青木書店/1992年/P335

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