国際委員会が受理した事件 | ||||
連番 | 事件番号 | 日時 | 内容 | |
1 | 5 | 12月14日 | 第五件 十二月十四日の夜、日本兵の中国人住宅への侵入や婦女の強姦および連行事件が相次いで起った。そのため大混乱が生じ、昨日数百名の婦人が金陵女子文理学院の構内に移って来た。それで、三人のアメリカ人が構内の三〇〇〇名の婦女子を保護するため、昨晩は同校で夜を過ごした。 | |
2 | 6 | 12月14日 | 第六件 十二月十四日、日本兵約三〇名が指揮官らしいものもなく鼓楼医院と看護婦宿舎を捜査した。院内の職員は組織的に略奪をうけた。万年筆六本・一八〇ドル・時計四個・包帯二包・懐中電燈二・手袋二・セーター一が盗まれた。 | |
3 | 10 | 12月14日 | 第一〇件 十二月十四日正午、金閒銀巷路の中国人住宅に日本兵が侵入し、四人の娘を拉致、強姦し、二時間後に帰した。 | |
4 | 12 | 12月14日 | 第一二件 十二月十四日夜、金閒巷路の中国人住宅には日本兵一一名が侵入し、四名の婦女を強姦した。 | |
5 | 15 | 12月15日 | 第一五件 十二月十五日、漢口路の中国人住宅に押入った日本兵は若妻一名を強姦、さらに三名の婦女を拉致した。そのうちの二人の夫が日本兵を追いかけたが、二人とも射殺された。 | |
6 | 1 | 12月15日 | 第一件 十二月十五日、安全区衛生委員会第二区の道路掃除人六名は彼らが住んでいた鼓楼の家で日本兵に殺され、一名は銃剣により重傷を負った。何らはっきりした理由のないことである。これらの人々はわれわれの使用人だった。日本兵はその家に侵入した。 | |
7 | 4 | 12月15日 | 第四件 十二月十五日夜、七名の日本兵が金陵大学図書館に侵入し、難民の婦人七名に襲いかかり、うち三名はその場で犯された。 | |
8 | 7 | 12月15日 | 第七件 十二月十五日、公共の建物や施設内にある大きな難民収容所の難民が口を揃えて報告するところにょれば、日本兵がそこにやってきて数回、難民から強奪した。 | |
9 | 8 | 12月15日 | 第八件 十二月十五日、米国大使官邸内に日本兵が押入り、家宅捜索を行ない、日用品数点を持ち去った。 | |
10 | 16 | 12月15日 | 第一六件 十二月十五日、銃剣で傷を負った男一名が鼓楼医院に来院して語るところにょれば、下関に弾薬を輸送するため六名の者が安全区から連行されたが、下関に着くと日本兵は彼の仲間全部を銃剣で刺殺した。だが、彼は生き残って鼓楼医院に来たのである。〔ウイルソソ〕 | |
11 | 17 | 12月15日 | 第一七件 十二月十五日午前八時、傅厚同六号にあるドイツ系会社何宗斉両合公司(訳音)の王裕慧(訳音)の報告によると、十二月十五日午前八時頃、数名の日本兵が会社にやって来た。日本兵は彼を捕え、彼がドイツ語の身分証明書をみせると、日本兵はそれを地面にほうり出した。彼のいうところでは、日本兵はそこに掲げてあったドイツ国旗を引き裂いたとのことである。彼は徴用されて壮観学校〔訳音〕まで荷物を運ばされたが、その後釈放され、仕事を済ませたことを示す細長い紙片をもらった。帰宅の途中、九江路で、彼は一人、二人の他の日本兵に何らはっきりした理由がないのに背後から二度発砲された。彼は現在、鼓楼医院にいるので、そこに行けば彼から話を聞けるであろう。〔マッカラム〕 | |
12 | 31 | 12月13日 | 第三一件 十二月十三日、景陽街のクソスト=アルペルス洋行を視察してみたところ、中国兵はすでに撤退した後たった。十五日正午、私か再び行ってみると、開け放しになっており、ドアは全部こわされ窓ガラスはこなごなにされ、建物中が家探しされていた。何が盗まれたか今のところ確認できない。[クレーガー] | |
13 | 18 | 12月15日 | 第一八件 十二月十五日夜、多数の日本兵が桃源にある金陵大学の建物に侵入し、その場で三〇名の婦女を強姦した。その中の数名は六名によって輪姦された。〔ゾーン〕 | |
14 | 19 | 12月15日 | 第一九件 十二月十五日、一人の男が鼓楼医院に来院した。六十歳になる叔父を安全区にかついでこようとしていたところ、叔父は日本兵によって射殺され、彼も傷を負った。〔ウィルソン〕 | |
15 | 44 | 12月15日 | 第四四件 十二月十五日晩、三条巷の住宅に多数の日本兵が押入り。多くの婦女を犯した。[王(訳音・以下同)〕 | |
16 | 20 | 12月16日 | 第二〇件 十二月十六日夜、七名の日本兵が窓を破って押入り、難民から略奪をおこなった。大学の職員一名は日本兵に時計も女も差し出すことができなかったので、銃剣で傷を負わされた。兵士たちは婦女を構内で強姦した。〔ペイツ〕 | |
17 | 22 | 12月16日 | 第二二件 十二月十六日夜、日本兵は金陵大学付近で安全区民警数名を殴打し、難民の中から兵隊のために女を出せと要求した。[ペイツ] | |
18 | 23 | 12月16日 | 第二三件 十二月十六日、日本兵は五台山から紅玉字会の使役一四名を連行した。(1)中国の慈善団体で、欧米の赤十字社に相当する。 | |
19 | 24 | 12月16日 | 第二四件 十二月十六日、日本兵は紅卍字会の無料食堂の労働者から調理用鍋一個を奪ったが、その際、中に入っていた米粥を地面に投げ捨てた。〔フィッチ〕 | |
20 | 27 | 12月16日 | 第二七件 十二月十六日、(牛)姑嶺路二一号の安全区衛生主任の家に日本丘ハが侵入し、オートバイ数台・ゴミ箱二個・自転車五台を持ち去った。[フィッチ] | |
21 | 28 | 12月16日 | 第二八件 十二月十六日午後四時ヽ日本兵が莫干路一一号の住宅に侵入し、そこで婦女を強姦した。[フィッチ] | |
22 | 29 | 12月16日 | 第二九件 十二月十六日、日本兵は鼓楼医院から救急車を盗み出そうとしたが、アメリカ人の委員ジョソーマギー師がとんで来て、やっと阻止した。〔マギー〕 | |
23 | 47 | 12月16日 | 第四七件 十二月十六日夜八時、日本軍の将校・兵各二名が乾河沿一八号に侵入した。彼らは家の中にいた男たちを追い出した。近所の婦人数名は逃げたが、(逃げられないで)屋内にいた婦女は強姦された。日本兵の一人はシャツを室内におき忘れていった。[王] | |
24 | 57 | 12月16日 | 第五七件 十二月十六日、七名の娘(年齢は十六歳から二十一歳)が陸軍大学内の自宅から連れ去られた。うち五人は帰宅した。十二月十八日に報告されたところでは、彼女たちは各人毎日六、七回ずつ強姦されたということである。十二月十七日午後十一時、日本兵が塀を乗り越えて侵入し。二名の娘を連れ去ったが、三〇分後に返してよこした。[蔵圖管(訳音)〕 | |
25 | 33 | 12月17日 | 第三三件 十二月十七日、日本兵が珞珈路五号に侵入し、四名の婦女を強姦し、自転車一台・寝具その他を持ち去った。私とハッツ(Hatz)が現場に行くと、兵隊はいそいで姿を消した。[クレーガー] | |
26 | 37 | 12月17日 | 第三七件 十二月十七日、小桃源にある私の家の裏手の小さな家で一人の婦人か強姦されたうえ刺された。今日治療を受ければ多分助かるだろう。その婦人の母親は頭部を強打された。〔ラーベ〕 | |
27 | 40 | 12月17日 | 第四〇件 十二月十七日、瑯奪路(珞珈路二五号の向い)で一名の若い娘が民家に連れ込まれ犯された。[王] | |
28 | 41 | 12月17日 | 第四一件 十二月十七日、司法院附近で一人の若い娘が強姦された後、銃剣で下腹部を突き剌された。[王] | |
29 | 42 | 12月17日 | 第四二件 十二月十七日、相富瓦〔訳音〕で四十歳の女が連行され、強姦された。〔王〕 | |
30 | 43 | 12月17日 | 第四三件 十二月十七日、建三円路附近で二名の娘が多数の日本兵に輪姦された。〔王〕 | |
31 | 45 | 12月17日 | 第四五件 十二月十七日、五台山にある小学から多数の婦人が連行され、一晩中、強姦され、翌朝になって釈放された。〔王〕 | |
32 | 46 | 12月17日 | 第四六件 十二月十七日、呉家花園内で男子三名が殺され、二名の婦人が連行され、行方不明となっている。〔王〕 | |
33 | 48 | 12月17日 | 第四八件 十二月十七日、徐甫巷〔訳1〕四号にいる収容委員会第四区調査員王玉承(訳音)の報告によれば、日本兵が連日侵入し、強奪・略奪を重ねている。妻と男の子二人は金陵女子文理学院に逃れた。老母と彼が残った。王は威されたので、やむを得ず家を出た。〔フィッチ〕 | |
34 | 53 | 12月17日 | 第五三件 十二月十七日午後三時、大方巷一〇号にある難民住宅内の娘三名は日本兵に輪姦された。また一人の婦人は射たれて重傷を負った[大方巷一〇号難民住宅] | |
35 | 58 | 12月17日 | 第五八件 十二月十七日、ラーベ氏の報告にょれば、日本兵約一五名が彼の家に侵入した。そのうちの数人は塀を乗り越えて侵入し、銃剣をかざしてラーベ氏の助手の平湘麟(訳音)から現金と書類数部を強奪した。現金は上衣の内ポケットからぬきとられた。強奪された物の一覧表はY・永井少佐に手渡された。永井少佐がラーベの家に日本兵が立ち入ることを禁ずる貼紙をわざわざ書いてくれ、それをラーベ氏宅のドアに貼っておいたにもかかわらず、さらにまた。ラーベ氏はドイツ人であって自宅にはカギ十字のナチス旗を四本も掲げていたにもかかわらず、六時頃ラーベ氏が帰宅してみると、ちょうど二名の日本兵が侵入してきた。そのうち一名は衣服を脱ぎ娘を強姦しようとしているところであった。ラーベ氏が二人に出で行くように命じると、彼らは侵入した時と同様に塀を乗り越えて出て行った。日本兵はラーベの家から自動車一台を盗み去ったが、「ありがたく頂戴する。日本軍、K・佐藤」という受領証をおいていった。ラーベは正式な受領証を要求したがことわられた。自動車の価格は三〇〇ドルである。〔ラーベ〕 | |
36 | 86 | 12月17日 | 第八六件 十二月十七日、Y・H・邵(訳音)氏(YMCAの書記)の家族の三人の娘が日本兵により陸軍大学から連行された。彼女らは身の安全を計るため陰陽営七号からそこに移って来ていたのである。日本兵は彼女たちを国府路に連れて行き、強姦した後、夜半になって釈放した。[曾時雨(訳音)、YMCA事務員〕 | |
37 | 94 | 12月17日 | 第九四件 十二月十七日夜、日本兵は一一名の難民の婦女を金陵女子文理学院から連行した。その間、捜索班を指揮していた将校は一時問以上も職員を正門のところに整列させておいた。その将校は、建物が捜索済みであるということを証明する書類を破りすてた。 | |
38 | 95 | 12月17日 | 第九五件 十二月十七日、金陵女子文理学院構内に住んでいた某難民家族の妻は自分の部屋で強姦された。教員の娘一人が日本兵にょって拉致された。[ヴォートリソ] | |
39 | 54 | 12月18日 | 第五四件 十二月十八日午後五時頃、約一〇名の日本兵が侵入し、難民一〇〇名および主任の馬(訳音)さんを含む衛生委員たちから寝具類と所持品をすべて奪った。[フィッチ] | |
40 | 55 | 12月18日 | 第五五件 十二月十八日晩、恐怖にかられた四五〇名の婦人が保護を求めてわれわれの事務所に避難して来て、庭で夜明しをした。彼女たちの多くは暴行を受けていた。[フィッチ] | |
41 | 56 | 12月18日 | 第五六件 十二月十八日午後四時、(臣頁)和路一八号において。日本兵が煙草を強要したが、相手の男が出すのをためらっていると、銃剣でその男の側頭部を突いた。その男は現在、鼓楼医院に入院中であるが助かる見込みはない。〔フィッチ〕 | |
42 | 59 | 12月18日 | 第五九件 十二月十八日、永井少佐かわざわざ小桃源にある国際委員会委員長ラーベ氏宅に来訪中、真向いの家に日本兵四名が侵入し、うち一名が婦人を犯そうとしたので、大声で助けを求めてきた。永井少佐はその男を捕え、頬に平手打ちをくわせ出て行けと命じた。他の日本兵三名は永井少佐の来るのを見て逃げ去った。〔ラーベ〕 | |
43 | 62 | 12月18日 | 第六二件 十二月十八日の陸軍大学内にある難民収容所からの報告。十六日には二〇〇名の男が連行されたが、そのうち戻ったのはわずか五名であった。十七日には二六名、十八日は三〇名が連行された。略奪されたものは。現金・行李・米一袋と四〇〇枚以上の病院用蒲団。青年一人(二十五歳)が殺され、老婆一名は殴り倒されて二〇分後に死亡。〔倉圓管(訳音)〕 | |
44 | 74 | 12月18日 | 第七四件 十二月十八日、ベイツ博士は彼の事務室がある小桃源の金陵大学の校舎で日本兵一名を発見、何をしているのかとたずねた。その日本兵はベーツ博士をピストルで威した。〔ベイツ〕 | |
45 | 89 | 12月18日 | 第八九件 十二月十八日、(金陵大学農場内にはI〇〇名以上の難民がいるが)日本兵が婦人四名を連れ去り、終夜暴行を加えた。四人とも翌朝になって戻った。十九日、二名の婦人が連行され、うち一名は今朝(二十日)戻ったが、他の一名は未だ戻って来ない。[第六区難民住宅一号] | |
46 | 63 | 12月18日 | 第六三件 十二月十八日に報告をうけたもl寧海路で日本兵は石油缶半分の灯油を少年から強奪、少年を殴打して、それを運ぶように要求した。品鎮巷〔訳音〕六号では日本兵に豚一匹が盗まれた。五名の日本兵が多数の小馬を盗んでいった。日本兵は(臣頁)和路一二号で、そこに難民として住んでいた男子をすべて追い出した後、娘数人を強姦した。ある喫茶店主の娘(十七歳)は七名の日本兵に輪姦され、十八日死亡した。昨夜六時から一〇時の間に日本兵三名が娘四人を強姦した。莫干路五号に住む老人が報告するところでは、娘が数名の日本兵に輪姦されたとのことである。昨夜、金陵女子文理学院から三名の娘が拉致され、今朝、陶谷新村八号に戻ったか、ひどいありさまである。平安巷に住む娘一名が三名の日本兵に輪姦され死亡した。陰陽営では強姦・強奪・家探しがおこなわれている。[十二月十八日報告][馬西華(訳音)〕 | |
47 | 64 | 12月18日 | 第六四件 十二月十八日に報告をうけたもの広東路八三号と八五号には約五四〇名の難民がひしめき合っている。今月十三日から十七日までに、日本兵は三人から五人の集団でそこにやって来て、日に幾度とかく捜査・強奪を重ねた。今日も日本兵は上記の場所で略奪を続けている。現在、日本兵は毎夜トラックを迎えによこしては若い娘たちを無理矢理に連行している。娘たちは翌朝になると釈放される。三〇名以上の婦女か強姦された。婦女子は一晩中泣き続けている。収容所内の状態は筆舌につくしがたいほど悲惨である。〔翻訳文に牢湘麟(音訳)の署名あり〕 | |
48 | 60 | 12月19日 | 第六〇件 十二月十九日午前一一時三〇分、ハッツ氏が報告するところでは、寧海路にあるわれわれの本部の隣家の待避壕で日本兵が数名の婦人を犯そうとしているのを見つけた。その待避壕には二〇名の婦人がいた。婦人たちが助けを求めて叫んでいるのが聞こえたので。ハッツ氏は待避壕に入り日本兵を追い出した。〔ハッツ〕 | |
49 | 66 | 12月19日 | 第六六件 十二月十九日(安全区外であるが管理者の目撃したもの)。昨日私か受けた報告によれば。アメリカ大使館付三等書記官ダグラスージェソキソズ氏の居宅が略奪を受け、用務員一名が殺された。今日正午、私は馬泰街二九号にある上述の場所を調査したが、陳述のとおりであった。屋内はまったく混乱しており、用務員室の一つに先ほどの用務員の死体があった。他の用務員は逃亡してしまったので、現在そこには誰もいない。〔フィッチ〕 | |
50 | 67 | 12月19日 | 第六七件 十二月十九日、珞路珈路二〈号(ドイツ人住宅で、ドイツ国旗とドイツの国章をかかげている)に家族八人と住んでいる私の運転手の李文元(訳音)は今朝八時半、持ち物一切を日本兵に強奪された。すなわち衣類七箱・家庭用品二かご・蒲団六枚・蚊帳三枚・飯茶碗・皿および現金五〇ドルである。この家族は現在かけ蒲団さえなく困窮しきっている。〔フィッチ〕 | |
51 | 69 | 12月19日 | 第六九件 十二月十九日北平路五九号に住んでいる第八区衛生調査主任門才東(訳音)の家にロ本兵が昨日は六回、今日は七回侵入した。十七日にはそこで娘二人が強姦されたが、今日また二人犯された。うち一人はあまりにも酷い犯されかたで、死亡するかもしれない。今日また別の一人がそこから連行された。この住宅に住んでいる難民たちは所持金・腕時計、その他の細々としたものをほとんど強奪されてしまった。[フィッチ] | |
52 | 72 | 12月19日 | 第七二件 十二月十九日、金陵大学の一部である農村師資訓練学校で日本兵はわれわれの勤務員から一〇ドルをとったが、昨日も同一人からニドル五〇セントを奪っている。午後には二名。夜にはさらに五名の婦人が構内で日本兵に強姦された。〔高(訳音)〕 | |
53 | 73 | 12月19日 | 第七三件 十二月十九日午後三時頃、日本兵一名が鼓楼医院の構内に侵入したので、マッカラム博士(Dr. McCuUum)と院長のトリマー博士が立ち去るように求めたところ、その兵は二人を目がけて発砲した。幸い弾丸ははずれて、マッカラム博士のわきをかすめた。〔マッカラム〕 | |
54 | 75 | 12月19日 | 第七五件 十二月十九日夕方、四時四五分頃、ペイツ博士は平倉巷一六号の住宅に呼ばれてゆくと、数日前から日本兵が難民たちを追い出して住んでいた。日本兵はちょうど略奪を終えて、四階に放火しはじめた。ベイツ博士は消火に努めたが時すでに遅く、家は全焼してしまった。〔ペイツ〕 | |
55 | 76 | 12月19日 | 第七六件 十二月十九日午後六時頃、暗闇の中を、小桃源のラーベ邸内に日本兵六名が庭の塀を乗り越えて侵入した。ラーベ氏が日本兵の一人を懐中電燈で照らし出すと、その兵はピストルに手をかけたが。ドイツ人に発砲したら面倒なことになるということをすぐにさとった。ラーベ氏は六人全員に、塀をのり越えて帰れと命じた。日本兵はラlべ氏に門を開けさせてそこから出ようとしたが、ラーベ氏はわざわざ門を開けて通してやるというようなことは断固拒絶した。彼らは氏の許可もなしに入って来だのだからである。〔ラーベ〕 | |
56 | 77 | 12月19日 | 第七七件 十二月十九日午後六時頃、ベイツ博士、フィッチ氏スミス博士の三人は漢口路一九号の金陵大学職員住宅に呼ばれたが、そこで婦女を強姦している日本兵を追い出すためであった。三人は婦人たちが隠れていた地下室に日本兵がいるのを発見した。日本兵を全部塀の外に追い出したのち、婦女子を全員金陵大学本館に送りとどけた。金陵大学本館にはその夜、日本領事館から護衛一名が来ることになった。 | |
57 | 78 | 12月20日 | 第七八件 十二月二十日朝七時半頃、リックス氏が漢口路二八号を通りかかると呼び止められたので、その家に入って聞いてみると、日本兵が前夜やって来たが婦人たちは金陵大学に送り出してしまっていたので、男一人を射殺し、銃剣で別の一人に重傷を負わせ、さらに三人にはそれより軽い傷を負わせたとのことである。〔ベイツ、フィッチ、スミス〕 第七九件 十二月二十日、寧海路五号の本部に行く途中、ラーベ氏の自動車が一人の日本兵に誰何された。ラーベ氏は車についているドイツ国旗と、国家社会主義ドイツ労働党の官吏であることを示すカギ十字章に敬意を払えと、大声でどなりつけた末にやっと通行を許された。[ラーベ] | |
58 | 80 | 12月20日 | 第八〇件 十二月二十日午前七時頃、マッカラムは鼓楼医院での夜警から戻る途中、多数の婦女子が金陵大学に避難するところに出会った。別々の場所からやって来た三家族が言うことには、彼らの家は昨夜。日本兵に焼かれてしまったとのことである。 | |
59 | 81 | 12月20日 | 第八一件 十二月二十日午前三時頃、金陵女子文理学院五〇〇号に日本兵二名が入り込み、日本領事館の警官一名が警備していたにもかかわらず、二人の婦人を強姦した。〔マッカラム〕 | |
60 | 90 | 12月20日 | 第九〇件 十二月二十日。今日、盲目の床屋が鼓楼医院に来院した。十三日に彼が子供を抱いて南市を歩いていると、日本兵がやって来て金を出せと要求した。彼はまったく金を持っていなかったので、日本兵は彼の胸部を射も抜いたのだった。 | |
61 | 91 | 12月20日 | 第九一件 十二月二十日、南市にある帽子店の店主は、日本兵に金を要求され、有金全部を与えたが胸を射たれた。日本兵はもっと出せと要求したが、彼は出すことができなかったのである。彼は二十日に鼓楼医院に来院した。〔ウィルソン〕 | |
62 | 92 | 12月20日 | 第九二件 十二月二十日、日本兵が金陵大学にある紅卍字会無料食堂にやって来て、会計係から七ドルを奪っていった。[リックス] | |
63 | 96 | 12月20日 | 第九六件 十二月二十日、アメリカ国旗を掲げ、アメリカ大使館の布告のはってあった大学教員住宅五戸に日本兵が侵入し、略奪をおこなった。住宅のうちの一戸には再三侵入し。ドア三枚がたたきこわされた。〔ヴォートリソ〕 | |
64 | 98 | 12月20日 | 第九八件 十二月二十日午後七時半、妊娠九ヵ月の十七歳の幼妻が日本兵二名に輪姦され、九時に陣痛が始まり、午前零時に出産した。夜間、街を通行することができないため、彼女は今朝になって鼓楼医院にかりぎこまれた。母親はヒステリー症状を呈しているが、赤ん坊には異常がない。〔ウィルソン〕 | |
65 | 99 | 12月20日 | 第九九件 十二月二十日午後、日本兵は漢口路五号にある鼓楼医院長J・H・ダユエルズ博士の住宅に侵入した。なお、同家の門には日本大使館の布告がはってあった。日本兵は二階の部屋に押入り、二名の婦人を中に連れ込んで強姦し、三時間もそこにいた。日本兵は地下室から自転車三台をとっていった。この家はダエエルズ博士の留守中、ウィルソン博士(Dr. Wilson)が使用していた。〔ウィルソン〕 | |
66 | 101 | 12月20日 | 第一〇一件 十二月二十日午後三時、日本軍将校三名が漢口路小学難民収容所の事務所に入って来た。職員が通訳を通して話したが、将校たちは職員に事務所から出て行けと命じておいて、白昼。同事務所で二人の婦人を強姦した。[岑達趨(訳音)、難民収容所長〕 | |
67 | 102 | 12月20日 | 第一〇二件 十二月二十日、国際委員会の委員の一人であるシュルツーパソティソ氏の住宅に日本兵が押入り、マギー師と一緒にそこに住んでいる中国人の友人の目の前で数人の婦人を強姦した。パソティソ氏宅には送電復旧の手助けをしているポドシヴォロフ氏および日本大使館の自動車修理工をしているジアル氏が住んでいる。(なお、この中国人たちは下関の米国キリスト教会からやって来た善良なキリスト教徒の家族であり、人間がこのような行為を行ないうることに驚いている。)〔董〔訳音、中央神学院長〕 | |
68 | 104 | 12月20日 | 第一〇四件 十二月二十日午後四時、日本兵四名は江蘇路二三号にある本部の隣家で、銃を突きつけ男たちを別室に押し込めた後、三人の婦人を強姦した。婦人たちは本部構内で一夜を過ごすためにやって来たが、今朝、前の日本兵が来て女を一人出せと要求した。二十一日午後四時半、 二人の日本兵がまたやって来て別の婦人一人を強姦した。男一名がこれを制止しようとすると、一人の日本兵が彼に発砲したが弾丸は外れた。 [王] | |
69 | 100 | 12月21日 | 第一〇〇件 十二月二十一日午後一時一五分、ウィルソン博士は金陵大学女子寮に一人の日本兵がいるのを発見した。博士は兵隊に立去るよう命じたところ、その日本兵はピストルで博士を威嚇した。後日、博士が前の日本兵に道で出会うと、兵隊は銃に弾を込めたが、発砲はしなかった。 | |
70 | 105 | 12月21日 | 第一〇五件 十二月二十一日、今日の午後、本部には、さらに約一〇○人の婦人が来ているが、彼女たちは本部のごく近くに住んでいる者たちであり、昨夜以来、暴行を受け、保護をもとめてやって来たのである。(前に来た婦人たちは金陵大学に送られた。)【ウィルソン】 | |
71 | 112 | 12月21日 | 第一一二件 十二月二十一日四時五〇分、日本兵が塀を乗り越え本部に侵入し、一人の婦人を待避壕に連れ込もうとした。スパーリング氏(Mr. Sperling)がその日本兵を追い出した後、婦人が語ったところでは、さきの日本兵は前にも二度ほど来ているということだった。[スパーリング] | |
72 | 151 | 12月22日 | 第一五一件 十二月二十二日、日本兵二名が金陵大学養蚕所で十三歳の難民の少女を強姦した。彼女の母親はこれを止めようとして傷を負わされた。他に二十八歳の婦人一名も強姦された。二十三日午前四時、二人の娘が日本兵に拉致されたが、憲兵に出会うと、その日本兵は逃げて行った。[H・K・呉、警視副部長] | |
73 | 144 | 12月23日 | 第一四四件 十二月二十三日、日本兵はひき続き略奪を重ねており、酔った日本兵一名が難民の頭部を殴打し、一人の婦人を強姦した。日本兵が三、四回やって来て、何人かの女をさらっていった。[五台山小学難民収容所] | |
74 | 145 | 12月23日 | 第一四五件 十二月二十三日午後八時一五分、日本兵七名が四人の娘を拉致した。[聖書師資訓練学校収容所] | |
75 | 146 | 12月23日 | 第一四六件 十二月二十三日午後三時、日本兵二名が漢口路小学収外所にやって来て金目の物を物色した後、職員の黄(訳音)嬢を強姦した。このことを日本軍特務憲兵隊に急報したところ、日本兵逮捕のために憲兵をよこしたが、日本兵は逃げたあとだったので憲兵は黄嬢を証人として憲兵詰所に同行させた。同夕、別の日本兵が来て、王夫人の娘を強姦した。午後七時頃、また別の日本兵三名がやって来て、二人の婦人を強姦したが、うち一人はわずか十三歳であった。[岑達蹟(訳音)、漢口路小学難民収容所長〕 | |
76 | 148 | 12月25日 | 第一四八件 十二月二十五日夜、七名の日本兵が聖書師資訓練学校難民収容所にやって来て、一晩中そこにいた。日中は、午前九時に四名、午後二時には三名の日本兵が来て、衣類・現金を物色し、婦人二名を強姦した。強姦された婦人のうち一人はわずか十二歳だった。[聖書師資訓練学校] | |
77 | 149 | 12月25日 | 第一四九件 十二月二十五日午前十時、国際委員会のリックス氏は漢口路で日本軍巡察隊の将校に誰何されたが、その将校はリックスをつかまえて殴打したり、平手打ちをくわせたりした。[リックス] | |
78 | 171 | 1月1日 | 第一七一件 一九三八年一月一日午後三時、スパーリング氏が寧海路と広州路の角にさしかかると。一人の老婆が家の中から飛びだしてきへスパーリング氏が中に入ると、一人の日本兵が逃げだしていった。しかし、寝室にはもう一人、素裸の日本兵と強姦されたばかりの半裸体の中国人の娘がいるのが見られた。スパーリング氏は兵隊に出て行けと命じたが、衣服を着る時間を与えた。〔スパーリング〕 | |
79 | 172 | 1月1日 | 第一七二件 一月一日午後九時、日本兵がトラックで小桃源のラーベ氏の住宅前に乗りつけ、トラック一台分の娘を出せと要求した。ラーベ氏は門を閉めて入れなかったので、彼らは金陵大学付属中学の方へ行った。〔ラーベ〕 | |
80 | 173 | 1月1日 | 第一七三件 一月一日午後、三名の日本兵が金陵女子文理学院に入ってきた。その中の一人は一人の娘を追い回し、庭の竹藪に入った。ヴォートリソ女史が呼び出されて、強姦寸前の娘を救い出した。残り二名の日本兵は憲兵であることを自認した。〔ヴォートリソ〕 | |
81 | 174 | 1月1日 | 第一七四件 一月一日午後一時四十分、二人の日本兵が路珈路一七号のフォースター師の住宅内に侵入して、一人の娘を強姦し、抵抗して強姦を拒否したもう一人の娘を殴打した。フォースター師はフィッチ氏と食事をするため外出していた。フィッチ氏・マギー氏・フォースター氏は車で現場へ駆けつけ、二人の娘を鼓楼医院で手当てするために連れて行った。[フィッチ] | |
82 | 175 | 1月1日 | 第一七五件 一月一日午後四時、三名の日本兵が漢口路一一号金陵大学附属の住宅(アメリカ人所有の建物)で十四歳の少女を強姦した。その家の婦人が校門にやって来て憲兵を呼んだが、憲兵のくるのが遅すぎて間に合わなかった。[ベイツ] | |
83 | 176 | 1月2日 | 第一七六件 一人の日本兵が一九三八年一月二日午前十時から十一時の間に、陳家巷五号の劉盤坤(訳音)が妻と五人の子供とで住んでいる家へやって来た。兵隊は家を捜査しようとした。そこでその婦人、つまり劉の妻0姿を見て家の状態について尋ねた。婦人は質問にこたえ始めた。家の中にいた人びとはこれを見て、婦人に家を出るようにそれとなく合図をした。といりのは、兵隊は婦人を部屋の中へ連れ込もうとしていたからである。それで婦人は家を出ようとした。その時、彼女の夫劉盤坤は兵隊に乱暴な言葉を浴びせ、また平手打ちをくらわせた。すると、日本兵は立ち去った。婦人は家に戻り炊事を始め、夫の方は五人の子供と一緒に食事をしようと食べ物を運んでいた。午後四時頃、同じ日本兵が銃を持ってやって来だ。この日本兵は主人を出せと命じたが。近所の人たちは兵隊に生命は助けてくれるように嘆願し、一人の男などは日本兵の前にひざまずいた。劉は台所に隠れていた。日本兵は彼の姿を見つけるや、即座に肩を射ちぬいた。沁医師が四時半頃よばれて行って見ると、男は死んでいた。ジョソーマギー師も少し遅れて行ったが、この現場に行きあわせた。[徐、マギー] | |
84 | 177 | 1月2日 | 第一七七件 一月二日午後三時、スパーリング氏とフィッチ氏が呼ばれて寧海路一三号にいってみると、四人の日本兵が略奪したり、強姦したりしているところだった。日本兵はスパーリング氏の黒いカギ十字の腕章を見ると、「ドイツ、ドイツ」と大声で叫んで逃げていった。〔スパーリング〕 | |
85 | 178 | 1月3日 | 第一七八件 一月三日、日本軍将校の洗濯婦という名目で(金門)銀巷六号から十二月三十日に連行された婦人たち六人のうちの一人が鼓楼医院に来院した。彼女の言うところによれば、日本兵に市の中央部の西寄りにある家へ連れて行かれたが。彼女の考えでは日本軍の軍用病院に違いないということである。婦人たちは昼間は衣類を洗濯したが、あとは夜通し強姦された。年かさの婦人は一晩に一〇回から二〇回強姦され、若く美しい婦人は四〇回も強姦された。一月二日、二人の日本兵が来院した婦人を人気のない学校の校舎へっれて行き、一〇回も銃剣を突き立てた。そのうち四回はうなじに突き立てて、脊柱の方にゆく筋肉を切断し、手首ヘー回、顔ヘー回、背中へ四回、切りつけた。おそらくこの患者は回復するであろうが、首が自由にまわらなくなるであろう。兵隊たちは彼女か死んだものと思って置き去りにした。他の日本兵が彼女を見つけ、その様子を見たうえで知り合いの所へ連れてきたので、そこから病院へ担ぎこんだのであった。(現にこの患者は髄膜炎で死亡した。)[ウィルソン] | |
86 | 179 | 1月3日 | 第一七九件 一月三日、発育不全の十四歳の少女が強姦され、きわめて重傷を負ったので、かなりの手術をしなければならなかった。[ウィルソソ] | |
87 | 182 | 1月7日 | 第一八二件 一月七日、二人の日本兵が一人の若い娘を強姦しようとした。張福煕(訳音)は兵隊を阻止しようとして、慈悲社七号で刺殺された。 | |
88 | 180 | 1月8日 | 第一八〇件 一月八日、五、六人の日本兵が沈挙人巷二二号で強姦をおこなった後、住人たちに発砲し、李(訳音)という名の三十二歳の婦人に負傷させた。 | |
89 | 181 | 1月8日 | 第一八一件 一月八日、四名の日本兵が昨夜。高家酒館四九号の袁(訳音)氏の宅に押入り、三人の婦人(二十一歳・二十五歳・二十九歳)を強姦した。婦人たちがぐずぐずして言うなりにならなかったので、日本兵はピストルで婦人たちを射ったのである。 | |
90 | 183 | 1月8日 | 第一八三件 一月八日午後六時、三名の日本軍飛行士が華僑路四号の高(訳音)という姓の娘(十八歳)を強姦し、ピストルを乱射した。 | |
91 | 184 | 1月9日 | 第一八四件 一月九日。一人の老人が安全区を出て泰溶山(訳音)にある自宅に戻り、帰ってきて住めるかどうか様子を見た。家に着いてみると、三名の日本兵が門の前におり。そのうちの一人が一言も言わずに彼の両脚を射ちぬいた。老人は現在、鼓楼医院に入院中である。〔ウィルソン〕 | |
92 | 185 | 1月9日 | 第一八五件 一月九日朝、クレーガー氏とハッツ氏は、安全区内の山西路にある中央庚款大厦の真東にある池で。日本軍将校一名と日本兵一名が平服の一市民を虐殺するのを目撃した。クレーガー氏とハッツ氏が現場に着いた時には、男は割れた氷がゆれ動く池の水に腰までつかって立っていた。将校が命令を下すと、兵士は土嚢の後に伏せて、男に向けて発砲し、男の肩に弾丸があたった。再度発砲したが弾は外れ、第三弾で男は死亡した。〔クレーガー、ハッツ〕 | |
93 | 186 | 1月9日 | 第一八六件 一月九日午後三時頃、ミルズ師とスミス博士が、雙塘へ出かけた。モの辺の様子を見て、市の西南部に住民が帰れる状態かどうか知りたいと思ったのである。そこへ着いたところ、赤ん坊を抱いた一人の婦人か、今しがた三人の日本兵に強姦されたところであった。〔スミス、ミルズ〕 | |
94 | 187 | 1月9日 | 第一八七件 一月九日夜、一人の憲兵が漢口路二五号のスミス博士の家から一人の婦人を連行し。別の家からも一人を連行した。憲兵は、リックス氏が漢口路二三号の自宅へ帰るところに出会うと、銃剣で脅かした。 | |
95 | 188 | 1月12日 | 第一八八件 一月十二目朝、二人の男(馬と英〔訳音〕)が登記を済ませて、漢西門にある馬の家に盲目の母親の様子を見に戻ったところ、近所の人が日本兵が母親を殺害したと話してくれた。彼らは馬の母親の死体をみつけた。帰る途中、二人が日本兵に会うと、兵隊は彼らに衣服をよこせといい、それから刺傷を負わせて防空壕の中へ役げこんだ。一人は意識を回復して壕からはい出した。人びとは彼の姿を見て衣服を与えた。そこで彼は養蚕所に歩いて戻った。二人の友達が担架に彼をのせて本部へかっぎこんできた。フィッチ氏は友達をつき添わせて彼を鼓楼医院へ送りとどけた。[負傷した人から呉(訳音)氏に報告〕 | |
96 | 219 | 1月13日 | 第二一九件 十二月十三日、ジョン・マギー氏のきくところでは、十二月十三日から十四日にかけて、城南に住む一家の家族一三人のうち一一人が日本兵に殺され、婦人たちは強姦され、手足を切断されたとのことである。生き残った二人の小さな子供が話してくれたのである。[マギー] | |
97 | 190 | 1月14日 | 第一九〇件 一月十四日。ある一家が金陵大学附属中学から帰宅した。彼らは途中で新しい登録証を入手したが、それを門にはっておけば兵隊に困らされることもないと言うことだった。そうしたところ、三時間とたたないうちに日本兵三名が来て男たちを追い出して、婦人たちを五度も強姦した。そんなわけで、彼らは一月十五日に中学へ戻って来て住んでいる。〔ベイツ〕 | |
98 | 195 | 1月17日 | 第一九五件 一月十七日、金陵大学附属中学にいるある一家の婦人が同家の男と共に帰宅した。彼らの家は市の南の新開地にある。一人の日本兵がやって来て婦人に同衾せよとせまった。それを拒否すると、兵隊は銃剣で彼女を殺した。〔ベイツ〕 | |
99 | 198 | 1月19日 | 第一九八件 一月十九日、現在フォースターや私と同居している尼僧の報告によれば、六十五歳になる彼女の叔父の朱(訳音)氏が日本側に指定された場所に米を買いに行ったところ、まず、路上で日本兵に強奪され、その後、刺殺されたと、昨日、知らせてきたそうである。この事件が起きたのは一週間ばかり前のことで、そのとき叔父が米を買いに出かけて戻ってこなかったのだが、叔父の身に何が起ったのか知らなかったのである。〔マギー〕 | |
100 | 199 | 1月20日 | 第一九九件 一月二十日、マギー氏の報告では、外交部にある赤十字病院内の中国人傷兵は、一日に茶碗三杯の飯しか与えられていないそうである。一人のものが日本人将校(または医師?)に苦情をもらした。将校は彼に平手打ちをくらわせ、さらに彼が抗議したところ、連れ出されて銃剣で突き殺された。〔マギー〕 | |
101 | 211 | 1月25日 | 第二一一件 一月二十五日午後、一中国婦人が鼓楼医院に来院した。彼女は夫とともに安全地区へ移ってきて、聖書師資訓練学校の近くのわらぶきの小屋に住んでいた。十二月十三日に日本兵にょって夫は連行され、妻すなわちこの婦人は城南へ連れてこられ、それ以来そこに住んでいる。以後、彼女は毎日七回から一〇回強姦されていたが、いつも夜には眠ることを許された。彼女は最も悪性の三種の性病I梅毒・淋病・軟性下疳Iにかかっていた。彼女は病気のため五日前に釈放された。それで安全区へ戻ってきたのである。[ウィルソン] | |
102 | 215 | 1月28日 | 第二一五件 一月二十八日午後九時、日本兵が中山東路沿いの兜街ロ(訳音)(特務機関事務所の東にあって兵隊たちの駐屯所となっている地域)にある天明(訳音)浴場にはいってきて、労働者の身体検査をして金を所持しているかどうか調べ、その中の三人に発砲した。二名は負傷し、一名は死亡した。この浴場は日本側の要請により自治委員会にょって開設され、日本側の特別の保護を受けていると考えられていた。〔スミス〕 | |
103 | 230 | 1月29日 | 第二三〇件 一月二十九日、二十二歳になる婦人か自宅に戻った。彼女の夫は日本兵に銃剣で突かれ、数日前に死亡した。一月二十九日に三牌楼二号の自宅に帰った時、彼女の方は三度も日本兵によって強姦された。 | |
104 | 232 | 1月29日 | 第二三二件 一月二十九日、陳王(訳音)氏、二十八歳が帰宅するところだった。その途中、三名の兵が彼女ともう一人の女性を呼び止め、ついて来いと命じた。ひざまずいて嘆願したにもかかわらず、彼女たちは一軒の店に引っ張り込まれた。陳夫人は三度強姦された。 | |
105 | 337 | 1月29日 | 第三三七件 一月二十九日、姚(訳音)氏は午後、張府園の自宅に戻った。その日、数名の日本兵がやって来て、マッチ箱を盗んでいった。三十日、数名の日本兵がやって来て、八十歳の老女をも含めた家族全員の服をぬがせて、金を所持しているかどうか調べた。しかし、彼らは金を持っていなかった。この時、隣家の迩(訳音)氏も三ドル五〇セントを盗まれた。二月一日、日本兵三名が同じ方法で捜索にやって来た。一家は収容所へ戻るつもりである。 | |
106 | 353 | 1月29日 | 第三五三件 一月二十九日、蔡児巷(訳音)に住んでいる黄陳(訳音)氏、三十九歳は日本兵に一〇回以上も輪姦された。 | |
107 | 222 | 1月30日 | 第二二二件 一月三十日、収容所を出るようにと命令されたので、ある一家は金陵大学養蚕所収容所を出て二条巷三〇号二五の家に戻った。その夜、日本兵三名が裏の垣根を壊して侵入し、玄関の戸をたたいた。誰も兵隊たちをなかに入れようとしなかったので、彼らはドアをたたきこわして侵入し、呪りをつけ、家人に起きよと命令し≒そして日本兵は「巡察隊」だと名乗った。一人の男は刀をもっており、一人は小銃をもち、三人目は丸腰であった。何も心配する必要はないし、危害を加えるつもりはないからまた床に入って寝るようにと、こまごまいうので、家人はそれに従った。彼らは家探しをして金のありかを捜し。それから刀を持った兵隊は十二歳の少女を強姦し、他の二人は老婦人一人を強姦した。兵隊は夜中に帰って行った。そういうわけで、一家は三十一日に収容所へ戻ってきた。〔リックス〕 | |
108 | 224 | 1月30日 | 第二二四件 一月三十日午後五時頃、ゾーン氏数百名の婦人から二月四日に帰宅せずにすむようにしたいとの嘆願を受けた。彼女たちは、帰宅しても無益で、家で強姦され略奪され殺されるより、収容所にとどまって殺される方がましだと述べた。彼女たちは、「あなた方は私たちをこれまで助けて下さったのに、もし今私たちを家に帰すならば、私たちを最後まで助けて下さらないかぎり、今まで助けて頂いても何の役に立つのでしょうか」と言った。ある六十二歳になる老婦人が漢西門付近の自宅に戻ったところ、夜になって日本兵がやって来て彼女を強姦しようとした。彼女は年をとりすぎているからと言った。そこで兵隊たちは彼女を棒で打ちのめした。しかし、彼女は生きのびて戻って来た。〔ゾーン〕 | |
109 | 290 | 1月30日 | 第二九〇件 一月三十日午前十一時、金陵女子文理学院収容所内の一少女は黄鵬巷朝天宮一九号の自宅に立ち寄った。突然、日本兵四名がやって来て、十歳をこえたばかりのこの少女を輪姦した。 | |
110 | 378 | 1月30日 | 第三七八件 一月三十日、陳(訳音)夫人が帰宅して石山街(訳音)の通りを歩いていると、日本兵三名に会ったが、彼らは彼女を恒茂醤園(訳音)(商店)に引きずり込み輪姦した。強姦が終って、彼女は放免された。(夫人の右手の人差指にて捺印) | |
111 | 333 | 1月31日 | 第三三三件 一月三十一日午後八時、日本兵三名が、三牌楼地区の磨坊巷に住む七十一歳の老婦人の家根にやってきた。彼らは掘立小屋の屋にのぼって、屋内に娘がいるかどうかきき耳を立てていた様子である。老婦人が屋根の物音を聞きつけて外に出てみると、彼らは降りてきた。彼らは屋内にはいってきて娘を出せと要求したが。彼女が一人もいないと答えたので、彼女をなぐった。彼らがズボンをはぎ取ろうとしたので、彼女は抵抗した。そこで彼らは家の中で拾った物で彼女の頭をなぐった。〔マギー〕 | |
112 | 223 | 2月1日 | 第二二三件 二月一日。今朝六時半、ペイツ博士が大学を出る時、また一団の婦人が集ってきて博士にあいさつをした。彼女たちは帰宅することはできないと博士に述べた。ほかの数件の暴行事件の中に一婦人の件があるが、この婦人は収容所が封鎖されたら寝具類を失うのではないかと思って、二人の娘を連れて昨日、西華門の家に戻ったのである。昨晩、日本兵がやって来て少女たちを強姦させよと要求した。二人の娘が拒絶すると、兵隊たちは銃剣で刺殺した。その婦人の言うところでは、家に帰ったところで仕方がないとのことである。もし自宅に行っても、そこで殺されるのであれば 彼女たちを収容所から追い出そうとするさいに兵隊に殺される方が、ずっとましだというのである。[ベイツ] | |
113 | 327 | 2月1日 | 第三二七件 二月一日午後一時、日本兵三名が鼓楼五条巷に来て、十歳をこしたばかりの少女を漣れ去った。一月二十八日忙も同家に日本兵三名が立ち寄り、婦人二人を強姦していた。 | |
114 | 382 | 2月1日 | 第三八二件 二月一日呉長生(訳音)が光華門外の自宅に戻ったところ、日本兵七名が老婆を連れて来て、二人に性交をするよう強要した。日本兵は傍で笑っていた。 | |
115 | 375 | 2月3日 | 第三七五件 二月三日馬(訳音)夫人が帰宅して同仁街のある家の前を歩いている時、日本兵三名に出会ったところ、彼らは彼女を空屋に引きずり込み輪姦した。(彼女の右手の人差指による捺印) | |
116 | 442 | 2月2日 | 第四四二件 二月二日、ある一家が城内に野菜を運搬中のところ、中華門付近で数名の日本兵に誰何された。兵隊は男を道路にひざまずかせ、[好姑娘]を出せといった。彼らは男に野菜を投げ捨てよと命じ、彼が抗議すると、兵隊は小銃の台尻をつかんで男の下腿部にふりおろし、両足の骨を折った。男は二日がかりで病院にたどりついた。[ウィルソン] | |
117 | 426 | 2月5日 | 第四二六件 二月五日午前中、曹岑(訳音)氏は漢西門五六号の住人である。二月五日午前中。一人の日本兵が彼女の家にはいって来て強姦しようとした。しかし、家人が憲兵を呼んだ。その兵隊は午後五時にまたやって来て、銃剣で彼女の顔に傷を負わせた。彼女は大学病院へ送られ、傷の手当てを受けた。主治医ウィルソン博士は、顔の傷は非常に重傷といっており、婦人は半ば昏睡状態にあるので、頭蓋骨折を起しているおそれがあるとのことである。 | |
118 | 430 | 2月5日 | 第四三〇件 二月五日、一名の日本兵が西華門付近の大中橋にある陳(訳音)氏宅に来て娘を出せと要求した。娘がいなかったので、十七、八の青年を引っぱり出して獣姦した。当初の命令に従って、その一家は年上の男たちをすでに帰宅させていたのである。 | |
119 | 436 | 2月5日 | 第四三六件 二月五日、三牌楼に住む六十過ぎの陳(訳音)という老女のところに日本兵三名が立ち寄った。二人が老女を輪姦している間、一人は外で見張りをしていた。兵隊の一人が彼女にロで彼のペニスをきれいにするよう要求した。彼女の孫息子は泣きやまなかったので、二度も刺された。 | |
120 | 444 | 2月6日 | 第四四四件 二月六日。この事件の報告者は、日本兵に連行され、中山門外で1ヵ月間、日本兵のために働いた。彼らは1ヵ月の労賃として三元彼に与えた。分隊が移動するので彼は帰された。二、三日後、彼と数人の友人が寧海路から広州路を通って空の麻袋を持って歩いていた。丘の上にいた日本兵が彼らを止めて戻れと合図した。彼らが向きを変えて四〇歩ほど歩いた時、背後から射った弾が男の左腕のひじの下に命中して、傷がひどかったので、切断しなければならなかった。この人には三人の扶養家族がいたが、彼は六日に射殺された。〔ウィルソン〕 | |
121 | 428 | 2月7日 | 第四二八件 二月七日、十二歳の少女が真夜中に強姦された。彼女の両親は彼女と前日、大方巷の自宅へ戻ったばかりであった。父親は少女を収容所へ送り返した。彼女は苦痛のあまりいまだに歩くことができず、彼女の父親の言によると、陰部かはれ上っているそうである。 |